ワールドメイトの会員になると、神様に通るお祈りの仕方を教えてもらえます。ですから、神様にお祈りをしたら、願いが叶って幸福が訪れた・・・ということが、そこかしこで起こります。こうしたことを、ワールドメイトでは「証(アカシ)」と呼んでいます。
証(アカシ)は日本や世界に起こることもあれば、個人の身の上に起こることもあります。はじめは、神様の存在を信じられない方もいるかもしれません。しかし、「実在の神がいるのなら、証を見せてください」とお祈りしたところ、神の計らいとしか思えないような奇跡が起きました・・・という声は、驚くほど多いのです。
こうした体験談は、支部でよく聞く話です。また、アンケートに書いた証などは、ワールドメイトで紹介されることもあります。
「ワールドメイトの実態」では、証(アカシ)は、マインドコントロールの目的で行っている、などと言います。しかし、それはまったく間違っています。証は、メールや郵送物で流れるのが大部分です。メルマガや郵送物は、希望者が受け取る仕組みとなっており、見たい人だけが見るのです。
メルマガや郵送物を受け取るのは、自宅などがほとんどだと思います。ですから、思考能力を停止するような状況はありえません。
世の中で、なんらかのメルマガを受信している人がおおぜいいると思いますが、「ワールドメイトの実態」の人は、あれが、マインドコントロールだとでもいいたいのでしょうか? 希望者が情報を選択受信し、自らの思考によって行動を決定するわけですから、マインドコントロールでもなんでもないのは、明らかです。
「ワールドメイトの実態」では、宗教=マインドコントロール、と根拠もなく決めつけていますが、そんなことは成り立ちません。キリスト教のシスターや、お寺のお坊さんや、神社の神主さんは、全員、マインドコントロールされたとでも言うつもりなのでしょうか?
宗教は、憲法で保障されている思想の一部です。宗教を信じている人がへん、とか、マインドコントロールされたに違いない、という決めつけは、ナンセンスとしか思えません。
一部のおかしな思想と、古来からの神ながらの道にと呼ばれる、神道と一緒にしないでいただきたいと思います。ワールドメイトは神道をベースとした、普遍的な宗教マインドであり、どのような教団や宗派の方でも入会できます。たとえば、イスラム教やキリスト教の人でも、ワールドメイトに入会できます。そして、違和感なく会員としてやっていけるようです。
それは、ワールドメイトは、マインドコントロールとは全く正反対であり、他宗教とも共存して矛盾が生じない、教えであるから出来ることだと思います。
繰り返しますが、メルマガや郵送物は、自ら情報を取捨選択して、自らの意思ですべての行動を決められる環境(自宅とか、道路を歩きながらとか・・・)のもとで見るわけですから、一切、マインドコントロールに当てはまることはありません。
もし、メルマガでマインドコントロール出来るとするなら、ほぼすべての日本人がマインドコントロールされてしまうことになってしまうでしょう。
証は、人によってさまざまな、多種多様なかたちをとります。ですから、配信された証と全く同じ証が出るということは、むしろまれです。
もし、マインドコントロールというのなら、みんな、思想が操作されて、一斉に同じ証が出る・・・というのがふつうの出方ではないでしょうか。
ワールドメイトでは、そのようなことはありません。
自由で民主的、入退会自由の、新しい時代に適した宗教団体だから、個々人が自由に見られるように、メルマガという形態をとっているのだと思います。
「ワールドメイトの実態」とは、「ワールドメイトに入会してから、収入がアップしたという証はあるが、貯金が貯まったという証はない」などということを書いています。しかし、これは、まったくの間違いです。
私の周囲には、貯金を貯めて、マイホームを購入した人もいます。しかし、その人は、「ワールドメイトに入会して貯金が貯まりました」などと、いちいち、アピールするようなことはしていませんでした。まあ、当たり前の話です。
いったい、「私は貯金がこんなに貯まった」などと嫌らしく自慢をする人は、世の中にいるでしょうか?
それに対し、思いもよらぬ臨時収入は、まったく嫌みでもなんでもないので、「こんな臨時収入があったんです。本当に感謝です」と人に言うこともあるでしょう。
「ワールドメイトの実態」では、貯金が貯まっている人が、ワールドメイトに独りもいないというイメージを植え付け、まるで、ワールドメイトに入会すると、お金がなくなっていくかのような印象を与えようと必死のご様子です。しかし、そんなことは、決してありません。
ワールドメイトに入会して、ワールドメイトの活動や家庭や仕事と、貯金を両立させて、海外留学をしたり、マイホームを購入したり、車を購入したという話はままある話なのです。
私の周辺には、神様ごとやボランティアが好きな人で、できる限りの自分のあいた時間を、ワールドメイトの活動に費やしている人もいます。
もともと、なんとなく神様が好きで、自分の人生を有意義に使いたいと思い、人の役に立つことがうれしい、と言います。この人は、入会当初は、若いかわいい男の子、という感じで、丁稚みたいな雑用ばかりしている子でした。しかし、今では、地域の会員のなかでも、大黒柱、といえるような頼もしい人材に育っています。
壮士の思想のなかで、「無用の大木」というものがあります。まだ十分に育っていないのに、かっこいい枝がある木などは、途中で切られたりします。しかし、枝ぶりもぐちゃぐちゃで一切手が加えられなかった木が大きく育って、やがて、森の主のような大木に成長する・・・という逸話です。
また、老子の思想に、「学を為(な)せば日々に益(ま)し、道を為せば日々に損(そん)す。これを損して又(ま)た損し、以(も)って無為(むい)に至る。無為にして為さざるは無し。」という思想があります。神様ごとの道を追求するという神髄を表した一説であると思います。
つまり、この男の子は、ワールドメイトで一生懸命ボランティア活動など、奉仕を行う課程で内面性が磨かれ、いざ、というときに頼れる人物に成長したということだと思います。
ワールドメイトには、もともと神様ごとが好きな人もたくさんいて、積極的に、いつもというほど、ワールドメイトの活動に参加している人もいます。それは、その人の選択であり、周囲の人がとやかく言うことではありません。
「ワールドメイトの実態」では、宗教にお金を使うのはへんだ、とでも言いたげなご様子ですが、それはその人の自由です。
たとえば、日本全国の神社に行きたくて、貯金をはたいて、ご祈願に行く人もいたりするかもしれませんが、それは、その人の趣味であり、それが幸せなわけです。周囲の人が、神社に興味がないからと言って、その人にとやかく言ってやめさせる、ということは、余計なお世話であると思います。
たとえば、日舞に興味をもって一生懸命やる人は、大変な費用がかかる。バイクが好きな人は、借金をしてバイクを買ったり、アルバイトをして買っている。フィギュアの収集家は家がフィギュアだらけ、サッカーファンはワールドカップを海外まで見に行ったりする。
また、登山が好きな人は、何百万円もためて、死ぬかもしれないのに、山登りに行く。 「何で、山に行くんですか」と聞いても、「そこに山があるからだ」と言う。それを見て、遭難したら、「家族に迷惑をかけて、捜索隊のお金を出させて、迷惑をかけて、心配させて、なんと愚かなことだ」というのか。山の魅力を知り、山に命をかけている人には、山登りが喜びであり、幸せなのだ。山登りの魅力を知らない人にはわからないからといって、登山家を批判するのは、気持ちはわかるけれども、筋違いの話である。
本人が好きで、「自分にとって本当に価値があるもの」にお金を使っているのは、趣味を共有しない人にとっては、理解できないのは、しょうがない。だからといって、たとえば、神社が好きな北海道の会員が、全国の神社に行きたいと思ってお金をためて、支部の仲間と一緒に九州の神社にいって、旅費をたくさん使ったからといって、「お金がなくなっちゃって、本当に神様がいるなら、神様が救ってくれないの?」などというのは、まったく、筋違いの話なのである。本人が好きで納得して、いいなと思って、お金や時間を使っているのだ。それを横から見て、「間違っている」などというのは、古着好きの若者がぼろぼろのビンテージを買うのを、横からみて、「間違っている」というのと同じようなものなのだ。
ワールドメイトでは、不本意な寄付をしてしまったり、気が変わったりした場合は、寄付取り消し期間に、寄付をした後に取り消すこともできる。不純な気持ちでした寄付は、真心のこもった浄財ではないからだ。また、5万円をはるかにこえる寄付も、原則として受け取ってもらえない。だから、ワールドメイトがお金を搾り取っているとかということは一切ない。みんな、好きで神事に参加し、日本の経済の繁栄や国民の幸せ、世界平和などを祈願している。その寄付金は、国内の孤児院のクリスマスプレゼント代となったり、カンボジアの24時間救急医療病院の運営資金となったりしている。みんな、会員はそれを知って、好きでやっているんだ。
趣味が違う人には、理解してもらえないのはしょうがないけれども、ワールドメイトほど社会にたくさん還元し、弱者や障害者を救済し、文化、芸術をサポートしてる宗教はない。このことは、全ての会員が誇りに思っていいことである。
(http://worldmate.web.fc2.com/#WorldMate2ch10より)