ワールドメイトを中傷するようなサイトに、ときおり「Nさんの陳述書」というのが引用されたり、掲載されていますが、ざっと読むだけで、「おや?」と思う記述がたくさんあります。古くからのワールドメイト会員なら、この陳述書が明らかな間違いや、事実誤認、誇張に満ちていることは容易にわかるでしょうし、全く関係ない第三者が見ても、社会的事実の誤認などによって、信憑性を著しく損なっている箇所がいくつもあります。
無論、私はこの陳述書を書いたNさんを批判するつもりはありません。「表現の自由」がある以上、その内容が名誉毀損や侮辱にあたらない限り、Nさんが陳述書でどんな意見表明をすることも、理論上は自由です。極端なことを言えば、どれほど嘘を並べ、罵詈雑言に満ちた文書を裁判所に提出しても、それはそれで「裁判資料」ではあります。道で拾ったゴミでも、子供の落書きも、「裁判資料」になるのです。
そして大事な事は、このNさんの陳述書に対して、ワールドメイト側も膨大な陳述書を提出して反論し、論破しているという事実です。
しかし、問題は、「Nさんの陳述書」が今なおアンチサイトに掲載され、あたかも事実であるかのように引用されていることです。これに対して、ワールドメイト側の見解は全く引用されていません。これは極めてアンフェアなことだと思います。ただ、アンチサイトをやっている人も、特定の思想や利害に基づいて活動をする人である限り、ワールドメイト側の主張を紹介する義務はありませんから、ある意味で仕方ないこととは言えます。しかし、最近のネット社会においては、火のないところに煙は立ちますし、「大きな嘘も100回つけば本当になる」ことがあるのが現実社会です。Nさんの陳述書の内容を信じてしまう方がおられることが懸念されます。
ですから、公平を期して、多くの方に正しい判断をしていただくためにも、双方の主張が対比して読まれるべきだと思います。
このNさんの陳述書自体、もうかなり昔のものですが、私が確認した資料は、当時裁判所で閲覧可能な状態だった、Nさん側、ワールドメイト側、双方の陳述書です。Nさんの主張のそれぞれに対して、ワールドメイトがどのように反論しているかを確認しました。以下、その内容を記していきたく思います。
最初に重要な点を指摘します。Nさんは、ワールドメイトのことをネットで中傷していましたが、裁判において自分の非を認め、謝罪をしているという事実です。裁判は、ワールドメイト側が同氏の謝罪を受け入れて和解が成立、終結しました。以下に紹介する資料を読むにあたって、その前提を踏まえる必要があります。
私が確認した資料は、先に記した通りです。Nさんについては、陳述書の全文をインターネットで公表しておられるくらいですから、問題はないと思いますが、もし、私の引用ミスや写し間違いでワールドメイト側が不都合を感じることがあれば、その点はお詫びいたします。また、記載にあたって、分かりやすいように以下の事を心がけましたので、最初に触れておきます。
◎ 個人情報に関わる部分などは、私の判断で、カットすることもあると思います。
◎ 陳述書内で他文書を引用している時、ページ数・行数が書かれている箇所がありましたが、煩雑なので省いた箇所があります。
◎ 陳述書の文中に「甲●号証」などと書いてある箇所も、それが「ワールドメイト陳述書①」などを指す場合は、分かりやすくそのように書きました。
◎ ワールドメイト側陳述書も、何カ所かで同様のものが出されたようで、ページ数など数パターンあるようです。引用箇所のページ数・行数も一応書きましたが、参考程度に見て下さい。
なお、私が見た資料は、以下の5種類です。下記のように便宜的に名付けました。
Nさんの陳述書
●Nさんの陳述書①
●Nさんの陳述書②(ワールドメイト側の陳述書①、②に反論したもの)
ワールドメイト側の陳述書
● ワールドメイト陳述書①
● ワールドメイト陳述書②(この2つは「Nさんの陳述書①」への反論)
● ワールドメイト陳述書③(これは、「Nさんの陳述書②」への反論)
ワールドメイトを中傷する人は、ワールドメイト側の陳述書について、決して閲覧しないよう勧めています。実際、匿名掲示板には、「見に行かないように」という投稿が何度もなされました。「見れば必ず、ワールドメイト側の意見を信じてしまう」というのが、その理由だそうです。そのため、Nさんの陳述書のみを読むように勧めているのだとか。
これは、この論戦の勝敗を、雄弁に物語っていると思います。上記の5つの陳述書を通読すれば、たとえ熱心なアンチ側の人でも、ワールドメイトに理があることを認めざるを得ないのでしょう。
基本的に、Nさんの陳述書は、彼のあやふやな記憶と印象と、そして前後の文脈に関係なく、一部分だけを切り抜いた資料を中心に作成されています。社会的事実や国際情勢について、基本的な現状認識が完全に誤っていることも多々あります。そのうえ結論は、主観的な断定が基調です。これに対して、ワールドメイト側は、きわめて客観的に、膨大な証拠を提示しながら、議論を進めています。全体のボリュームもワールドメイト側が圧倒しており、ロジカルだというのが私の印象です。
まずは、『ワールドメイト陳述書①』より。ここで、ワールドメイト側は、「1.Nさんの陳述書の全体について」として、『Nさんの陳述書①』の全体に対する見解を述べています。
==========以下、引用==========
Nさんの問題提起は、要するに、当教団や深見東州教祖が講話や文書を用いて説く教えなどに対する、無理解と不勉強から来るものです。しかも、当教団の重要な部分を切り捨て、断章取義によって、あたかも当教団が悪質な団体であるかのように読む者をミスリードしようとしています。重要な論点のいくつかについてはあえて無視・隠蔽しており、自らに都合の良い主張を行っていると言わざるを得ません(1~2頁)
==========引用終わり==========
重要な論点です。私たちがNさんの陳述書を読んだときに感じる、ある種の「違和感」の正体が明かされているといえるでしょう。無理解と不勉強を棚に上げて、自分に理解できないことをあえて無視・隠蔽し、自らに都合の良い主張を行うことでイメージ操作を狙っているものと思われます。
『ワールドメイト陳述書①』は、続いてもうひとつの重要な点を挙げています。それは以下の通り。
==========以下、引用==========
「Nさんは、Nさんの陳述書全編にわたって、『深見教祖を糾弾する自分の主張は正しく、他の会員たちは皆マインドコントロールを受けているから救わねばならない』との主張を繰り返しています」
「しかもNさんに言わせれば、公のインターネット掲示板でNさんが深見教祖を『バカ』『ノータリン』等罵倒したことまで、『マインドコントロールで苦しみ悩む会員の方や元会員の方の呪縛を解き放つため』(Nさんの陳述書)だったとのことで、しかもこうした中傷を『瑣末な発言』(Nさんの陳述書)であると自己弁護しています」
「しかし客観的に見て、どのような目的であっても、他者を公の場で罵倒することが正当化されるはずはなく、良識ある大人の発言とは思えません」
(ワールドメイト陳述書① 2頁)
==========引用終わり==========
特定の人物を罵倒して「バカ」「ノータリン」等と書くことは、刑法の定める侮辱行為であり犯罪である可能性があります(刑法231条)。
仮に(千歩くらい譲って)他者の行為に問題があったとします。しかし、その人物を攻撃するために、犯罪をしてもよいという理屈は成立しません。この点において、同氏が自らの非を認めて謝罪したのは、先に述べたとおりです。
また、裁判所で公式に謝罪した後、急に態度を翻したNさんの態度について、同陳述書はこう述べています。
==========以下、引用==========
「その後Nさんは、これらの中傷について、自ら謝罪する和解案に応じたため、当教団もそれ以上事を荒立てず和解したのですが、和解成立後10日も経たぬうちに、再びインターネット(紀藤弁護士のサイトに設置の掲示板)で、『WM側も和解してるんだから、私のカキコは侮辱的表現以外問題ないということ』『私は別に『バカ深見』とか『ノータリン教祖』なんてことを主張したかったわけではありません。そんなことは枝葉末節であって、どうでもいいことです』等の自己弁護を始めています」
「こうした発言をどう見るかは個人の感覚次第でしょうが、私にはNさんが、法廷での謝罪に全く重きを置いておらず、訴訟を終わらせるために誠意のない謝罪を行い、訴訟が終結したから自己弁護に走っているようにしか見えません」
「このように、Nさんが深見教祖を公の場で中傷した文言や、謝罪の様子等を見るに、Nさんの発言・文書・謝罪等に総じて誠意がなく、その場しのぎのものであったことは明らかです」
「こうしたNさんの態度を、当教団としては、Nさんのためにも悲しむものですが、いずれにせよNさんの発言内容や陳述書が、そのまま信用できない事はこの一事をもってしても明らかです」
(ワールドメイト陳述書① 2頁)
==========引用終わり==========
私には、Nさんの人格を批判する気はありません。しかし、上記の事実を見るにつけ、Nさんの態度に誠意があるのか、その発言に信憑性があるのか、あまり議論の余地はないように思えます。
無論、裁判とは紛争の解決手段です。係争状態にある者が過激な行動をするのは、よくある話です。Nさんが良識ある方だったとしても、非常事態に非常識な言動をすることも、ありうることでしょう。この点、Nさんばかりを責めるのはどうかと思います。私もそんなつもりはありません。
しかし、そうした経緯を全く無視し、紛争のプロセスで出された、当事者片側だけの文書を、いつまでも不特定多数が閲覧できるように掲載し続けているアンチサイトには、大きな疑問が残ります。ましてこの文書には、事実誤認や認識間違いが多数あります。そのまま公表することは、Nさんのためにもかわいそうだと思います。
仮にワールドメイト側が、和解条項違反として再訴訟すれば(しないと宣言していたと思いますが)、Nさんの敗訴は確実でしょうし、前回にさかのぼって大きな賠償の責を負うはずです。アンチの方は、Nさんが負うリスクを考えておられるのでしょうか。それが、何よりも疑問です。
ワールドメイトの重要思想のひとつ、「3千年の神仕組」を、Nさんの陳述書が「終末思想」と批判していることについて、ワールドメイト側は次のように説明しています。非常に重要なポイントです。
==========以下、引用==========
当教団の重要思想「3千年の神仕組」とは、終末思想などとは全く対極的な思想です。
「3千年の神仕組」とは、わかり易く言えば「3千年前からの神のご計画」という意味です。それは当教団では、「神様が、21世紀の中盤頃までに、世界の国々をすべて連邦制によるゆるやかな一つの政体にまとめ、以て過酷な戦乱のない世の中にして行こう…と計画されている」ものだと説明しています。
一読してお分かりの通り、これは終末思想・終末論とはまったく反対の思想です。キリスト教的な「最後の審判」や「世の終わり」は来ない、というのが当教団のスタンスなのです。
(ワールドメイト陳述書① 3頁)
いわゆる「終末思想的」な、「世の終わり」や「最後の審判」などを謳う教団とは一線を画するばかりか、正反対のところにいるのが当教団なのです。人類滅亡や世の終わりなどという「終末思想」に対する、一大アンチテーゼにこそ、当教団の宗教史的な存在価値があるといっても過言ではありません。現世における人々の幸せと、人類の輝かしい未来をひたすらに肯定しているのが当教団なのです。
(ワールドメイト陳述書① 4頁)
==========引用終わり==========
会員として、何度も聞いている内容です。ワールドメイトのチラシやパンフレット、著作物や教学冊子に繰り返し述べられていることですので、議論の余地はないでしょう。
私が今回、双方の陳述書を対比して公開すべきだと思った理由も、この点にあります。これほど基本的な教えが、誤った形でNさんの陳述書に記載されて、ネット上で公開され続けているのが不思議なのです。そこに何らかの意図や、少なからぬ悪意を感じましたし、義憤を押さえきれなかったのが、この稿を書き始めた理由です。
ところでNさんは、「ワールドメイトの教えが終末思想とは、ほど遠い」ことを、実はよく知っていたのではないかと思います。そのためか、陳述書の記載は多くの点でブレているのです。ワールドメイト側は、その矛盾を正確に指摘しています。
==========以下、引用==========
Nさん自身も、3千年の神仕組とは「人類を救済する神の計画」のことだと書いていますので、こうした当教団の説明は熟知していたものと思われます。
このように、「3千年の神仕組」という「反・終末思想」の教えが当教団にあることを、Nさんは明らかに知っていながら、一方でNさんの陳述書の後半では、当教団が終末思想や終末論を説いているなどと主張しています。Nさんの主張は全く矛盾しており、当教団を弾劾したい為に、その場その場で当教団の発言を断章取義して批判の材料としているに過ぎません。「3千年の神仕組」が、終末思想の体系化であるかのように読む者に思わせようとしているのかもしれませんが。それは結論からして正反対で、全く誤っています。
(ワールドメイト陳述書① 3頁)
==========引用終わり==========
Nさんの陳述書は、全体的に矛盾が多く、全体を読めば読むほど、論理破たんにしている印象があります。おそらく、「オウムのような社会問題となった新興宗教と同じだ」等の印象を与えるために、無理矢理に、よくないイメージの単語を使ってこじつけようとしているのかも知れません。無論、論理構成のみならず、証拠として引用した内容すら、誤っているものが非常に多いことは、この後でも触れていきます。