オープンスタンスのワールドメイト

 さて、ここから、ワールドメイト陳述書②に移ります。陳述書は、冒頭でNさんの陳述書の論理破綻を指摘しています。Nさんが、いかに「あり得ない前提」のもとに、その批判を展開しているかがわかりやすく描かれているのです。

 

==========以下、引用==========

 

 当教団では、Nさんが触れた以外にも膨大な量の予言が出されており、もしそれら全てが「ことごとく外れている」のであれば、5万人近い会員が継続して在籍することなどあり得ないはずです。

 というのも、当教団では、こうした予言はその都度全会員に広く発表しています。ですから、予言の結果は誰の目にも明らかなのです。ところが、Nさんは47頁14行から15行目において、「だから実際には、深見らにとって都合の悪い事実は意図的に信者から隠蔽し、さも深見が行った予言や神事が当たっていたかのように装い」と述べています。しかしながら、予言は出された都度発表されるのですから、「都合の悪い事実は意図的に隠蔽」したり、「当たっていたかのように装」ったりすることは不可能です。

(ワールドメイト陳述書②  2頁)

 

 そもそも当教団が、「当たっていたかのように装」った予言しか発表していないのであれば、当教団の発表した予言は、すべて的中していなければならないはずです。Nさんが膨大な紙幅を費やし、「当教団の予言はことごとく外れている」ことを論証しようと、当教団の刊行物から丹念に引用した努力は、全く意味がないことになります。

 このように、Nさんは誰にでもわかるような矛盾を繰り返しているのです。

( 同上 )

 

==========引用終わり==========

 

 全くその通りだと思います。それに元来、ワールドメイトでは、予言された未来をより良く変えていく事に、神事や祈りの意味があるとさえ言えるものです。従って、予言したことを「隠蔽」したり、「装ったり」する意味は、全くないのです。


 深見先生は、警告の意味のある予言は、神様が変えてほしいという願いとともに降ろされる、とおっしゃっていたと記憶しています。その中で、悪い予言は変えていただき、よい予言も、よりよく変わるよう祈り向かう、というのがワールドメイトの姿勢です。特に3年から10年、30年ぐらいまでの予言は流動的であると、先生はおっしゃっています。神事や人の努力によって、未来を変えているからです。

 予言された未来を、人間の誠を尽くすことにより変えていくことが起こりうるのです。


 もちろん長期的には、「ほぼ変わらない60年、100年以上の長期展望が、「縦糸の神仕組」として用意されています。しかしそこに至るプロセスの詳細は、人間の努力に委ねられています。たとえば、1ヶ月後の試験で80点を取るためには、少しずつこつこつ勉強する方法と、一夜漬けのような荒療法など、さまざまなやり方があります。少しずつ日頃からこつこつ努力すれば、直前に慌てなくてすみますが、サボっていると間近になって大きな努力がいります。(例えが卑近すぎたでしょうか…)

 大きくは、タテの神仕組(長期的)があります。ただし、そこに至るまでの過程は、人間が織りなすヨコの仕組(中期的)であり、幾通りものパターンがあります。ですから、途中で絵柄が変わることがあるし、むしろより良き絵柄に変えるよう努力する…こうしたことは、会員なら誰でも知っていることです。未来を変えていくことの重要さは、ワールドメイトのコミックにもメールマガジンでも神事でのお話でも、何回も繰り返し話されています。


 実例として、私がよく思い出すのは、自分も祈願に足を運んだ、2003年の奇病「SARS」のことです。中国などで広まったこの熱病は、当時は致死率も治療方法もはっきり分からず、正体も分からないまま、いずれ日本に上陸して大流行するのでは、と報道が続いていました。

 SARS上陸の被害をくい止めようと祈願する神事があったのは、この年のゴールデンウィークです。当時私も参加して、SARS撲滅の祈りを捧げました。

 この鳴門の神事では、被害が深刻になる可能性は、「関西、四国、関東、中部」・・・の順に大きいと神示があり、SARSの日本上陸があるなら、関空経由で四国を中心に蔓延する可能性がある、という話でした。この時のことは、ワールドメイトのメルマガにも書かれていますが、本当に鳴門祈願の直後、SARSの患者が「関空」に上陸し、大阪→京都→兵庫→鳴門などをめぐって、また関空から帰国していたことが、後からわかったのです。被害が深刻になる可能性があると鳴門祈願で神が事前に警告されていた、関西と四国を、この患者はピンポイントで巡っていたのです。その報を初めて聞いたときの驚愕は、いまだに忘れられません。


 驚くのはそこからです。この患者が巡った先は、その後くまなく調べられました。接触した可能性のある人達を対象に、感染の有無が調べられたのですが、二次感染した人は1人もおらず、被害なく済んだのです。これについては、厚生労働省の方が当時の日経新聞で、「幸運としか言いようがありません」とコメントしていたと聞きました。本当に、担当者が見ても「ラッキー」としか言いようがない出来事だったのでしょう。


 こうして、予言に沿った方向に事態が進み、しかも被害なく終わることが出来たのは、私にとって強烈な思い出として残っています。